戦後67年目の発見 - 百十四銀行高松支店の迷彩跡

画像
百十四銀行高松支店(高松市丸亀町)で、第二次世界大戦中に空襲対策として塗られたとみられる迷彩柄の壁の一部が見つかった。戦後増築された木造建物で隠れていたが、今春その建物を取り壊したところ、約60年ぶりに姿を現した。一帯は1945年7月4日未明の高松空襲で焼け野原になり、支店は残った数少ない建物の一つ。市民から「貴重なので残してほしい」との声が上がっている。同行広報部によると、支店は鉄筋コンクリート造りで、26(大正15)年4月に高松百十四銀行(当時)本店として完成した。2009年7月、耐震性の不足を指摘されたため、補強工事に備えて東側に隣接する木造建物を取り壊した。現れた壁の高さ約9.5メートル、幅約1.5~4メートルにわたり、黒い塗料で描かれた斜めのしま模様が残っていた。同行が05年に発行した125年誌には、1940年に防護団を結成したほか、時期は不明だが「建物には迷彩を施してあった」との記述がある。焼け野原になった市街地に残る迷彩柄の銀行の写真も掲載されており、今回見つかった迷彩壁はその一部とみられる。

画像百十四銀行高松支店で戦時中に空襲対策として塗られた迷彩模様の一部が見つかったことがニュースになっていましたが、私もこないだ高松の商店街に行ったときに拝見してきました。丸亀町商店街の百十四銀行高松支店の南側にある道路から東に面している壁を見ると、確かに斜めに塗られた黒い模様の跡がありました。以前に高松空襲の資料を見たとき、焼け野原の中、迷彩柄の百十四銀行の建物が写った写真もありましたが、まさかそれが今でも残っていたのには驚きました。こうしておけば、カモフラージュされて空襲を避けられる…と考えていたんでしょうね。これもひとつの戦争遺産なので、出来ればこのまま残しておいてほしいところですが、残念ながらこの壁も改修されるようで…。それまでに出来るだけ多くの人の目に触れてもらいたいです。

米軍が記録した日本空襲
草思社
平塚 柾緒


Amazonアソシエイト by 米軍が記録した日本空襲 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック